2019/08/21

海沿いゲイ生活

Yahooブログから移転しました。

よろしくお願いいたします。
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2016/05/07

ウエストハリウッドの衝撃


僕が在住時、日本に帰国する前はウエストハリウッドのバーの閉店などが相次いだ。
ここがハリウッドだと思わせる洗練されたモデルのような男性が集まっていた
i-candyの閉店、気軽でよく行っていたhereラウンジはゲイバーではなく、
土曜日は一般の男女向けのバーになっていた。

やはり今は好みの客層(?)だけを集めたホームパーティなどが主流で、
このままウエストハリウッドは衰退していくのかなと残念に思っていた。

しかし、そんな心配はご無用だった。



大変な人出だし、何よりお店が増えている!これには驚いた。

昔からあるMicky'sや周辺のお店も改装されたのか、どこも店内は賑わい、
通りから見ると鍛え上げた裸の男性が数名踊っているではないか。




その中にカウボーイの格好をした男性が踊っているFlaming Saddleというお店があったので、入ってみることにした。

ダンサーのレベルが高い。



大半のお店が入るのは無料なので、少し入って5ドル程度の飲み物を買って
ゆっくりと見ることができる。とはいえ、殆どの人が仲間同士で雑談をしているので
じっくり見ている人なんてそんなにいないのだが。


やはり土曜日のウエストハリウッドは賑わっている


懐かしい洗車屋さんも健在だ。(焦点がおかしいけど)

サンタモニカ大通りとRobertsonの角にあるhereラウンジはお隣のゲイバー、Abbeyに買収され、ゲイクラブ The Chapel at Abbeyになるということで工事中だった。

大通りを挟んで向かいにあった小さなスターバックスは
向かいの建物に拡大移転していた。


裏にはパビリオンというスーパーがある。


駐車場はゲートもなく、軽く飲む人ならここに車を停めているのではないかと思う。

この近くでレッカーされた忌々しい記憶のある僕はパシフィックデザインセンターに10ドル払って停めたが、建物の構造が変わっていて随分と街へ出づらくなっていた。入り口は反対側のメルローズAvenue沿いにある。

スーパーにも立ち寄ってみた。



飲み物を買いに中に入ってみた。どの売り場も、近隣に住むゲイカップルだらけだった。少し余裕がありそうな、筋骨隆々に仕上がった男性ばかりだ。
部屋にはフレンチブルドッグかパグでも待っているのだろう。

懐かしいなぁ〜この自由な感じ。

あ、そうだ。これだ。。

僕はLAに来て以来、いまいちピンと来ていなかったのだ。
しかし、このスーパーに来て初めて、懐かしい!と思った。

自由で、様々な人がいる都会の雰囲気。でもどこか洗練されている。

理想の生活があるOCとは、全く異なる雰囲気だ。デンバーに到着した翌日、
僕はデンバーは理想な居住地だと思った。住宅地などが良いデザインで、
お店もあって、何もかもが大きい。ただ、しばらくして考えた。
果たしてゲイの僕がそこに住んで快適だろうか、と。

子供のいる家族を養っていくなら、そこは理想の土地だと思う。幸せが思い描ける。
ただ、独り身や子供のいないゲイカップルにとって、少なくとも僕にとって、
狭くて多少人々が冷たくても、ゲイではなくとも様々な存在を黙認する
都会の雰囲気というのはやはり住みやすいものだ。

ウエストハリウッドに来なければ、もうLAは来なくても良いかもしれないと
思っていたと思う。

翌日、ウエストハリウッドのFairfax Ave.沿いにあるWhole Foodsへやってきた。
ゲイと思われる筋骨隆々な男性が、お年寄りのお母さんと二人で一生懸命に
果物を選っている。なんだかとても微笑ましい光景だった。




2016/05/04

南CA思い出巡り



現地に滞在中は何度も行ったラグナビーチや、アムトラックが夕日の手前を通っていくサンクレメンテなど、良い記憶に残る場所を次々と訪問した。



シルベラドにある叔父が住んでいた家も訪問。相変わらずのどかでいい。


ジャンボリーロードの奥の方にTuesday Morningというお店があった。
名前がとても気になって入ってみると、面白い雑貨屋さんだった


必ずまた行ってみたいリストに入っていたギリシャ料理のDaphne。
久々のGyloサラダを食べた。野菜好きにはアメリカは良い。



滞在中は涼しい日が続いていてWhole Foodsのテラス席には暖炉が焚かれていた。

今回はメキシコに行く予定があったので、あまり買い物をできなかったのが心残り。


シリアルなどで静かな朝食

日本で地震があったらしいということを聞いた。熊本とはまた随分と意外な場所だ。
しばらくすると、いつものことだが地震の被害そのものの状況よりも、誰が不謹慎なことをしたとか、良いことをしたとか、そんなことがニュース一覧を埋めつくしてくる。

東北みたいな大きい被害なのかと思ったが、あれ程の被害ではないようだ。とはいえ、亡くなった人や被害にあった方にとって、全体の規模など関係ない悲しみである。

改めて日本は天災が多い国なのだなと感じる。天災の度に政府が全員に仮設住宅や手厚いアフターケアをするのは無理があるし、今後どうしていくのだろうかと思う。

日本もアメリカの郊外みたいに大きな庭や車庫があれば大量の食料を保存して、発電機を使って、自分の身は自分で守る的なことをできるのかもしれない。でも都市部では難しいのだろうな。




友人の家はIrvine Company が造成した団地(かなり語弊があるので住宅コンプレックスとでも言ったほうがいいだろう)の中にあった。以前書いたと思うが、このOC (Orange County)一帯を一気に高級なイメージに仕上げた不動産会社。

儲け主義で安い建材ばかり使ってるって不評なのよ、と友人は言っていたが
共用の庭はよく整備され、花が咲き乱れている。


滞在中は何度か建物の中にあるコーヒーショップへ行った。
店員さんもお客さんもフレンドリーで、あら引っ越してきたの?などと
話しかけてくれる。今夜はワイン試飲会があるから、是非来るべきよとのこと。


ブレックファストブリトー。ボリュームたっぷりで美味しい!


皆でインドカレーを買ってきて床で食べた。これがまた凄く美味しい。



夜のプールではカップル達が泳いでいる。まるでホテルのようだ。


もう一人の友人が、「一体自分の人生の中のどの部分を変えたら、
ここに住む人生になったのだろう、そもそも人生のどこかにそんな
チャンスがあっただろうか、と考えてしまった」と話していた。

そんな考え方をしたことのない僕は考え込んでしまった。
理想の生活が何かは人それぞれだが、今からでも遅くないのだろうと思う。

つかの間のOC生活でした。次はLAへ。

2016/05/01

久々の渡米

今回はアメリカン航空のサイトで羽田ーLAの往復が学生の頃以来見ていない安い価格で出ていた。

以前はヴァリグブラジル航空などが安い価格で飛んでいたのが懐かしい。

アジア系に慣れてしまってアメリカン航空なんて乗れるかしら、、と思っていたが
アメリカンの逞しい女性CAさんたちは皆笑顔で意外に親切である。

途中で配られたサンドイッチを食べたら寝てしまい、何だか気持ちが沈むような夢を見て起きつつも、今はLAに向かってるのだから何も心配はいらないんだ、、と訳の分からない感じで納得し再び寝入った。

周囲がざわつき始めたと思ったらもう到着前の食事のようだ。
モニターを見るとLAまであと1:50と出ていた。4時間以上は寝たようだ。


ついにやってきた。8年ぶりのLA。

8時間40分ほどのフライトは終わった。非常口席だったので前は広いが、
横幅が狭いので肩が痛い。羽田を深夜に出るので、LA到着は夜7時くらいになる。
入港審査は誰も並んでいなくて空いている。

Next! と言われ、入国審査官のもとに歩いて行くと、彼は僕の顔を見るなりハッと電話をかけ始めた。そんな〜!と緊張して何を話しているのか聞いて見ると、今夜の夕食は一緒に行けそう?とどこかの女性と話していた。。僕は夕飯を思い出す顔なのだろうか。


予想外に空気が冷たかった。多様な人種を見て、久々のアメリカを感じる。

空港の椅子に座っていると、メキシコ人らしき小さな男の子がスーッと僕の
スーツケースを引いて去っていった。あれ、、?と見ていたら、
お母さんが気づいて慌てて持ってきた。

車はSixtで予約していた。最初に予約していたハーツなどよりも安く、直前に予約を取り直したのだった。空港からSixtのバンに乗ると、中には先客のドイツ人のゲイカップルが。

Sixtはヨーロッパの会社で、アメリカでもBMWなど高級車や個性的な車を借りることができるそうだ。今回初めて使ってみたが、小さなエコノミーカーも扱っていた。



  車はSixtの中では安いボルボのステーションワゴンを予約していたが、予想通り無いらしくキャデラックのSUVになるとのこと。ヨーロッパ車に乗ってみたいけど、SUVなら良いか。隣のゲイカップルも希望の車が無いようで何やらごねていた。


 LAでは友人の家に滞在させてもらったが、到着が遅いので空港近くのスーパー8モーテルを取っていた。







何やらマフィンを作るマシンがあった。

うーん、やっぱりいるだけで楽しいぞ、アメリカ。(マフィン作りが楽しいだけだと思うが)



 過去の経験からすると、こうした旅の最初の朝食の時間が旅行全体で一番楽しい思い出になったりする。例えそれが安いモーテルでも。

そして旅行の終わりには、それが遥か昔のことのように感じるのだ。旅行というのは、毎日の密度が濃い。


爆音を立てて次々と飛行機が降りていく。
近いなぁとジッと観察している時に限って小型機ばかりくる。

懐かしいLA。車を走らせてみた。

住んでいた時はあまり縁がなかったが、マリナデルレイからベニスビーチ、
サンタモニカにかけては大学生の時にバックパックを背負ってうろついていた場所だ。

当時はゲイというアイデンティティがはっきりせず、体の大きいアメリカ人のマッチョな男性を見ては密かに興奮していたかもしれない。しかしホステルで同じ部屋にいたブラジル人の男性にゲイなんだ、と言われた時は「僕は違う」と逃げてきたりして、自分でもどうしたら良いのか分からなかったのだろう。

雰囲気に流されホステルに泊まってバックパック旅行なるものをしてみたが、
特に良い記憶はなく、ただの夏休みの暇つぶしのような時間だった。
あれを経験しなかった僕の人生は、今と何も変わらないだろうと思う。

目標にしてドライブしていたサンタモニカプレイスはあまりにも変貌していて、
特に感傷もなく後にした。


***


モーテルに置いていた荷物を取り、海沿いの街に向かった。
このブログの前のタイトル「海沿いゲイ生活」を始めた、海沿いの街へ。

最初に向かったのは、11年前にこの投稿(熱い視線の理由)を書いたレストラン。

あれほど毎日のように運転していた街なのに、道を何度も間違えてしまった。ショック。記憶が少しずつヅレているようだ。

わー。。。

レストランに入ると予想どおり、当時6ドル代だったメニューは10ドルを超えていた。いや、そんなことよりも驚いたのは、内装が記憶よりも随分と古くなっていたことだ。

周辺の街並みは全く変わっていないし、自分もここに同じように存在しているのに、建物が確実に老朽化している。何も変わっていないようで、確実に月日が経ったことを見せつけられた気がした。



その後、馴染みの街をドライブをすると沿道の全てがそのまま残っている。
この8年、ずっと頭の中で懐かしい光景として思い出していた街並みだ。

わー!○○通り!と懐かしい通り名やお店の名前を叫びながらドライブ。

そして住んでいたアパートの前まで行ってみると、ただ黙って見上げていた。


わー。。。ここに住んでたんだな。。。

自分がよく外を見ていたキッチンの窓辺には、今住んでいる人の洗剤などが置かれていた。当時の自分がそこから顔を出しそうな、変な感じだ。

もっと違う8年間にできたはずだ。
そんなことは考えないようにした。

海沿いの街にもう一度住みたいかと言われると、正直わからない。

実を言うと、僕はもっと感激すると思っていた。
決してネガティブな印象を抱いたわけではないのだが、さほど感激はしなかったのだ。

自分の人生の基礎となったアメリカ生活だったが、あれで終わって良かったのだと
思う。あれは若い時の一時だったから良い経験となったのかもしれない。

場所によって生活というのは大きく異なるが、僕の理想の場所というは
LAでも、東京でもない。かといって、他にあるわけでもない。

今いる場所で、または行くと決めた場所で、自分がどういう環境を
築きあげ生活していくかなのだろう。



久々のJamba Juice

滞在させてもらう友人の家へ向かうため、
パシフィックコーストハイウェイを南下した。


2016/04/29

記憶に残るデンバー


到着後のデンバー空港付近から。

フェニックスからデンバーへのフライトは随分な乱気流に巻き込まれました。

窓の外を見ては目が回るし、機内をみると満席の乗客の頭が左右に
グラングランと揺れ、同じく目が回る。目を閉じたら足元が地球の方向を
向いていないんじゃないかと思えて酔ってくる。
まるで子供に遊ばれたおもちゃの飛行機に乗っているかのようだった。

飛行機の後方に座っていた僕の隣にはFrontier航空のパイロットが、その向こうにはアメリカン航空のパイロットが移動のために制服のまま座っていた。心強く思ったものの、二人とも機内ではネットが使えるのか、タブレットで飛行ルートや気象情報らしき画面と窓の外を交互にジッと見ている。険しい表情をする彼らの存在は僕を安心させる手助けには全くならなかったのだ。

そんな中、機長からのアナウンスはデンバーは「gusty wind(突風、強風)で、乱気流が予想されている。」というだけ。

機体がミシミシ音を立てて揺さぶられ、ヒューンと落下する。
この揺れでも最後まで大声で雑談をしていた前の座席の人たちもついに
前の座席におでこを付けて手を合わせ祈り始めた。
僕は滞在していたメキシコからデンバーまで様々なルートがあったにも関わらず
このフライトを選んだ自分を恨んだ。

遂には東京での自分の生活が頭に浮かんできた。地味だし、もっと上を思って理想ばかり追っているけど、あぁ、あれで十分なんだな。あの部屋急降下しないし。。

まるで紙飛行機のように儚い存在に命を預けているように感じたフライトだったが、
最後の最後まで左右に揺れたり傾いたり急降下しながらデンバーに着陸。

後方にいたCAさんたちは、こんなの経験したことある?と着陸後にお互い話していた。それぞれもっと酷いのを経験しているらしが、そう語るくらいの酷さだったようだ。

怖そうなMを心配していたので僕はある程度気が紛れたが、着陸後は
僕はしばらく気持ち悪くて立てなかった。

僕が降りる際に、CAさんに話しかけられた。
「信じられる?私また同じルートを戻らないといけないの!」と。

僕を心配していたMは、機体を降りてトイレに入った途端にもどしてしまった。

これ以上酷い乱気流に学生の頃あったが、あの時は一人だったからか、若かったからなのか、今回のように心臓が萎縮するような思いはしなかったし、気分が悪くなることもなかった。ただ急降下するだけで機内の悲鳴や混乱ぶりはその時のほうが酷かったが、今回のように振り回されるような揺れ方ではなかった。

この時、テキサス州やその周辺には嵐が来ていて、テレビでは竜巻の注意報が流れていた。その嵐がアメリカの南西部一体やミズーリにかけてまで影響を及ぼしていたらしい。


フェニックスのスカイハーバー国際空港

デンバーに飛び立つ際、フェニックスの街の背景には高く舞い上がる茶色い砂嵐が見えていた。後でニュースを見ると、アリゾナでは砂嵐がひどく、州間高速を走るトラックなどがなぎ倒されている。



遠くに白いロッキー山脈が見える。
走っているのはこの数日前に開業したという空港とダウンタウンを結ぶ列車。

デンバー到着時はその前に降り立ったフェニックスと変わらない暖かさだったのに、その夜には冷え込んで雨が降り出した。

晴れたと思ったら雨が降り出したり、寒いと思ったら暖かくなったり。
 「これが典型的な春のデンバーだよ」とWhole Foodsの店員さんは話していた。

お店を出ると "It's Denver!"と別の店員さんとお客さんが空を見上げて話していた。
デンバーの人はデンバーが大好きなようだ。シアトルの人はシアトルを、ボストンの人はボストンを、LAの人はLAを欠点も含めて愛し、It's so L.A.というのと同じだ。


出発する日のデンバーの朝は霜が張り車や屋根は白くなっていた。

日本への飛行機は、ロサンゼルス発。ロサンゼルスまで車で行こうか、そんな話を本気でするほど乱気流の恐怖症になっていた。これはデンバーというよりは、ここ数週間の気候によるものなのだろう。

しかし命のリスクを考えれば、飛行機よりも車のほうが余程危険だろう。
実際、デンバーから西へと最短距離で抜けるには通らざるおえないVail付近では
雪が散らついているようだった。

到着後の乱気流レポートなるものを見てみると、
デンバーだけが赤いSevereになっている。
(それ以上のExtremeというのは経験したくないものだ。)



しかし出発日にはクリアーされていて、乱気流は東のほうへ移動していた。

アメリカン航空によると、ここ2、3週間は乱気流が酷いとのことだった。
あくまで傾向ですが午後以降は大気が不安定になるので、朝のフライトを選んだほうが揺れる可能性が少ないとのことだった。今回はギリギリ午前中。

酔い止めなるものを初めて飲んで、飛行機に乗った。空港に行くだけで気分が悪い。

あれれ、数日前まで飛行機とか空港とか結構好きだったんだけどなぁ。

今回の機長はとても丁寧な人で、安心することができた。「今入った情報によると、コロラドを抜けるまでは乱気流の可能性がありますが、今朝飛んできた際にはそれほど乱気流はありませんでした。」

離陸すると飛行機はガタガタと揺れ出したが、前回とは比べ物にならない。

さようならデンバー。また来ます。

まめに機長からアナウンスが入る。「Thank you for your patience. あと25マイルほどで、乱気流のエリアを抜ける予定です。このスピードだと、5分ほどで安定するでしょう。」

LA到着時に揺れがあったが、前のフライトに比べれば「僅か」である。
丁寧な機長さんのおかげで飛行機に嫌な印象を持ったまま旅を終えることは免れた。

それにしても、去年から伊丹や南紀白浜まで3往復していて、北海道もタイも台湾もバリ島も行ったものの、どのフライトでもこの「僅か」も揺れていない。
今回の旅行中のアメリカ上空はよほど荒れていたようだ。

そんなこともあり、いかにして脱出するかを考えていた
短いデンバー滞在は思い出深いものとなりました。


少しずつ旅行記を書いてきたいと思います。